書籍:不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か
今回は「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」という本を読んでみました。
ちなみに、そろそろ来年6月のCFP試験に向けて本腰を入れて勉強をしたいところですが、
現在、「試験前になると何故か横山光輝の三国志(もしくはこち亀等)全巻を
読み返したくなる症候群」に陥っておりまして、ついつい全く関係ない本に手が伸びてしまいます・・・。
さて、本書は読売文学賞を受賞する等話題となりましたので、ご存知の方も多いかと思いますが、
本書は文字通り、
「奥さんにするなら、性格は最悪だけどなんだかんだで絶世の美女がいいのか、
もしくは、夫に非常に忠実で内面は完ぺきだけど、醜女(ブス)のどちらを選択するべきか」という、
居酒屋の酒の肴になりそうな社会学的(?)テーマを扱ったものではなく、
ロシア語同時通訳者の第一人者であった故米原氏が、同時通訳の失敗談や苦労話、
異文化コミュニケーションの難しさを面白おかしく書いたエッセーです。
ちなみに、「なぜこのタイトルなのか」については本書を読んでのお楽しみですが、
感が言い方は何となく察しがついていることでしょう。
内容も文章も非常に素晴らしく、また為になりますので、ロシア語や同時通訳に
興味がない方でも、英語等の言語学習者や、第二言語を仕事等のツールとして使っている方で、
まだ本書を未読の方にはぜひお勧めします。
なお、本書で参考になった個所は多数ありますが、その内、心に強く残った個所を
少し長いですが以下に書き留めてこうと思います。
^^^(以下、本書抜粋)^^^^^^^
ところがしゃべる場合には、ほとんど思考の速度と同じ速度でしゃべっていくので、
時間単位当たりの情報密度が薄くなる。
というわけで、国際会議で文章を読まないような発言では、スピーチは自分の意見を
まとめる時間稼ぎのために、次のような言い廻しを実に頻繁に用いる。
「私は何はさておき、とくに忘れてはならないと肝に銘じておりますことを。
この場をお借りして強調しておきたいと考えておりますのは・・・・」
「さてご列席のみなさま方にとりわけご注目いただきたいのは・・・・」
「今申しましたことの重要性は次の事実によっても裏づけられるところでありまして・・・・」
というのがもう無限大にいっぱい出てくる。
新米の頃、ある会議で、そういうロシア人の発言の前置き部分をも含めて逐一懸命に訳し終えた。
ところが、ほぼ同じような言い方をアメリカ人の発言者がしたとき、隣のブースの
英語のベテラン通訳は、その前置き部分を、
「まあ」
の一言でやり過ごし、次のセンテンスにつなげてししまった。
ショックだった。私は原発言者の言うとおりそのまま訳したつもりだが、
結局こういう枝葉末節のところに一所懸命になりすぎて、いったいぜんたい発言者が
何を言いたかったかというところが逆にボケてしまっていた。
「まあ」
これで十分なんだ。基本的に情報らしい情報はない。そしてむしろ一番大事な情報を
聞き逃さないように、言い落さないように神経を集中したほうがいい。
ところが、いざ通訳の真っ最中となると、とくに同時通訳の場合、ついつい原発言者に
ひきづられてしまうものだ。
^^^^^^^^^^
^^^^^^^^^^
通訳にとって、最も必要とされる要素とは、二つの言語にまたがる幅広い正確な知識や、
柔軟な両語の駆使能力もさることながら、話しての最も言いたいことをつかみ、
それをどんな手段を講じてでも、とにかく聞き手に通じさせようとする情熱なのではないだろうか。
コミュニケーションの成立、これこそがこの生業の最大の使命なのである。
^^^^^^^^^^
さて、英語学習者(中級)の私としては、英語のヒアリングをする際、
特にネイティブスピーカーが発言者の場合は特に、とかく全ての単語等を
聞き取ろうとして、聞き取れない単語や文法上の誤り(と私には思われる箇所)があると
その場で混乱し、結局、全体の趣旨がなんだか良く理解できないまま終わる、
という事態が度々発生します。
実際のコミュニケーションは英語テストではなく、あくまで意志の疎通が目的であることを良く考え、
今後は「木も見つつも森を良く見る」というスタンスでヒアリングに臨みたいと思います。
ちなみに、そろそろ来年6月のCFP試験に向けて本腰を入れて勉強をしたいところですが、
現在、「試験前になると何故か横山光輝の三国志(もしくはこち亀等)全巻を
読み返したくなる症候群」に陥っておりまして、ついつい全く関係ない本に手が伸びてしまいます・・・。
さて、本書は読売文学賞を受賞する等話題となりましたので、ご存知の方も多いかと思いますが、
本書は文字通り、
「奥さんにするなら、性格は最悪だけどなんだかんだで絶世の美女がいいのか、
もしくは、夫に非常に忠実で内面は完ぺきだけど、醜女(ブス)のどちらを選択するべきか」という、
居酒屋の酒の肴になりそうな社会学的(?)テーマを扱ったものではなく、
ロシア語同時通訳者の第一人者であった故米原氏が、同時通訳の失敗談や苦労話、
異文化コミュニケーションの難しさを面白おかしく書いたエッセーです。
ちなみに、「なぜこのタイトルなのか」については本書を読んでのお楽しみですが、
感が言い方は何となく察しがついていることでしょう。
内容も文章も非常に素晴らしく、また為になりますので、ロシア語や同時通訳に
興味がない方でも、英語等の言語学習者や、第二言語を仕事等のツールとして使っている方で、
まだ本書を未読の方にはぜひお勧めします。
なお、本書で参考になった個所は多数ありますが、その内、心に強く残った個所を
少し長いですが以下に書き留めてこうと思います。
^^^(以下、本書抜粋)^^^^^^^
ところがしゃべる場合には、ほとんど思考の速度と同じ速度でしゃべっていくので、
時間単位当たりの情報密度が薄くなる。
というわけで、国際会議で文章を読まないような発言では、スピーチは自分の意見を
まとめる時間稼ぎのために、次のような言い廻しを実に頻繁に用いる。
「私は何はさておき、とくに忘れてはならないと肝に銘じておりますことを。
この場をお借りして強調しておきたいと考えておりますのは・・・・」
「さてご列席のみなさま方にとりわけご注目いただきたいのは・・・・」
「今申しましたことの重要性は次の事実によっても裏づけられるところでありまして・・・・」
というのがもう無限大にいっぱい出てくる。
新米の頃、ある会議で、そういうロシア人の発言の前置き部分をも含めて逐一懸命に訳し終えた。
ところが、ほぼ同じような言い方をアメリカ人の発言者がしたとき、隣のブースの
英語のベテラン通訳は、その前置き部分を、
「まあ」
の一言でやり過ごし、次のセンテンスにつなげてししまった。
ショックだった。私は原発言者の言うとおりそのまま訳したつもりだが、
結局こういう枝葉末節のところに一所懸命になりすぎて、いったいぜんたい発言者が
何を言いたかったかというところが逆にボケてしまっていた。
「まあ」
これで十分なんだ。基本的に情報らしい情報はない。そしてむしろ一番大事な情報を
聞き逃さないように、言い落さないように神経を集中したほうがいい。
ところが、いざ通訳の真っ最中となると、とくに同時通訳の場合、ついつい原発言者に
ひきづられてしまうものだ。
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通訳にとって、最も必要とされる要素とは、二つの言語にまたがる幅広い正確な知識や、
柔軟な両語の駆使能力もさることながら、話しての最も言いたいことをつかみ、
それをどんな手段を講じてでも、とにかく聞き手に通じさせようとする情熱なのではないだろうか。
コミュニケーションの成立、これこそがこの生業の最大の使命なのである。
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さて、英語学習者(中級)の私としては、英語のヒアリングをする際、
特にネイティブスピーカーが発言者の場合は特に、とかく全ての単語等を
聞き取ろうとして、聞き取れない単語や文法上の誤り(と私には思われる箇所)があると
その場で混乱し、結局、全体の趣旨がなんだか良く理解できないまま終わる、
という事態が度々発生します。
実際のコミュニケーションは英語テストではなく、あくまで意志の疎通が目的であることを良く考え、
今後は「木も見つつも森を良く見る」というスタンスでヒアリングに臨みたいと思います。
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